人生初の入院
取り組んでいたクラファンのキャンペーン期間が、あと一週間で終わるという2月の終盤。
しばらく体調が良くないなぁと思っていたら、入院してしまった。
きっかけは明らかで、極度の睡眠不足。
でも、仕事に興奮していたので、ほとんど疲れも感じなかった。
こちらの午前2~3時が日本の午前中ということもあって、日本と色々連絡を取ったり、子供が寝ているうちにと夜更かししてパソコンに向かったり・・・
そうしているうちに頭が休まらなくなってしまい、寝ようと思えば思うほど寝られない。
全く眠れないまま10日ほどやり過ごしているうちに、ついに耐えられないような頭痛と酷い倦怠感で座っているのもままならなくなった。
その日の朝、家政婦・NANAが私の部屋にやってきて、起き上がれない私に「起きろ、起きろ」と声をかける。
そのうち、顔に水をバシャバシャ掛けられたかと思ったら、NANAが私を呼ぶ声が鳴き声に変わった。
「いや、そんなに重症じゃないから。ちょっと休んでたら大丈夫だから・・・」と、お騒がせして申し訳ない気持ちになるけれど、やっぱり起き上がれない。
そうしているうちに、イレールの知り合いのDr.が現れて、あっという間にタクシーに乗せられて病院に担ぎ込まれた。
後から聞いた話では、病院到着時、体温が39.3℃あったそう。
自分では発熱している自覚すらなかった。
それから血圧が異常に低くて、上が70台しかなかった、と。
アフリカで発熱となると議論の余地なく、たいていは検査さえすることなく、まずマラリア治療が始められる。
自宅でマラリアの内服治療をする場合、タブレットを朝・晩、3日間服用するが、それが病院となるとちょっと病院らしく、1日2回の「アーテスネート」と呼ばれる点滴による治療が選択される。
マラリア原虫の薬剤耐性問題(これまでのマラリア治療薬に耐性が出来てきている)を阻止するべく、この画期的な薬を開発した先生は10年ほど前にノーベル賞をもらっている…
いつか熱帯医学を勉強していた時に、そんなことを習ったなぁと、スタッフに「アーテスネート」を指示するドクターの声を聞きながら思い出す。
その薬剤に自分が助けてもらうことになるなんて・・・と、ありがたくて、ちょっと感慨深かった。
余談ではあるが、コンゴ人の点滴ルート確保はどのスタッフも恐ろしく上手い。
救急外来で、日本ではおよそ狙わないような、私の内腕にある血管に看護師が狙いを定めた時、正直「そんなアホな!」と思った。
別の場所に…と抵抗しようと思った矢先、ルートはあっさり入っていた。
フラフラの頭ながら、へえーと感心してしまったけれど、入院中に体験した計3回のルート確保は人を問わず、いずれの手技も鮮やかなものだった。
結局、諸々の体調不良の原因は何だったのか、
マラリアだったのか、極度の疲労だったのか、はたまた風邪だったのかよく分からなかった。
パラセタモールでは全く頭痛が改善せず、別の痛み止めと、ちょっと頭を休める薬を服用しているうちに、ある朝目が覚めると、ものすごく気分が良くなって感動した。
普段、二日酔い以外体調を崩すことがないので、「ああ、健康って何てありがたいんだろう」と、しみじみ感じ入った。
輸液を繰り返しても、血圧がなかなか100台に上がり切らなかったけれど、土曜日に入院して、金曜日に退院することになった。
ちょうど一週間ぶりに外に出ると、外界の雰囲気と太陽の光が新鮮で、何とも言えない解放感だった。
退院の日、領収書を見たらsalle de VIPと書いてある欄があり、自分が初めて1泊$50のVIPルームに入っていたことを知る。
(床頭台もあって、テレビ・トイレも付いている。)
それもそのはず。
帰り際に広い病院内を散策してみると、私がいた建物は別棟で、診療科ごとに分けられた病棟は殆どが4~5人の大部屋だった。
ちょっと勿体ないなぁと、持ち前のケチ臭さが抑えられなかったけれど、保険は下りるだろうし、部屋の中にベッドが2つあったので、お陰で子供達も一緒に寝泊りできたので良かった。
(写真は登校前に朝ごはんを食べる二人。ベッドをくっつけて、子供達+NANA+私で寝ていた。)
この間、子供たちは病院から学校に通っていたけれど、行き帰りにNANAと一緒に乗るバイクが嬉しくてたまらない様子だった。
(普段は、危ないからとイレールに固く禁止されているけれど、この期間ばかりは仕方がなかった。)
確定申告終了まで、あと半月!
そんなこんなで3月1日に退院してきた私がまず取り組んだのが、確定申告だった。
入力書類の準備は出来ていたけれど、タイムリミットまで、あと15日。
「理論上」はオンライン会計ソフト(E-taxソフト)と、マイナンバーカードの読めるスマホがあれば、どこからでも出来るはず。
とはいえ、ここはコンゴ。
想定外の通信障害や、何らかのシステムエラーが出てしまうことは想定内である。
まさか確定申告のために帰国などできないし、期限までに出来なかったらどうしたら良いんだろう・・・手続きを完了させるまで、ちょっとハラハラしていた。
日本でメインで仕事をしていたステーションの社長に、源泉徴収票の写メを送ってもらうと、「えっ!コンゴからそんなこと(確定申告)出来るの?時代やね。」というコメント。
いや、出来るか分からないのですが・・・と、また一層不安になりながらも、入力を済ませて、いざ送信。
・・・と、やってみると何のエラーもなく、取り掛かってものの30分ほどであっさりと提出が完了してしまった。
実を言えばこの「確定申告案件」は12月に日本を出国するときからの気掛かりだった。
出来るはずだからと、マイナンバーカードをこちらへ持参してしまったけれど、持ってきてしまったということは日本にいる誰にも頼むことは出来なくなるということ。
ハハに、「本当に大丈夫やね?」と念を押されて出発してしまった手前、やっぱり出来ませんでしたとはとても言えないな…と思っていた。
心配していた大きさの分、あまりにもスムーズに終わって拍子抜けしてしまった懸案・確定申告。
無事に完了して、体調もすっかり回復して、またこうして文章を書けることが嬉しい。
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