1月のある月曜日の晩。今日は一日、何かと上手く回らない日だったから、書くことで昇華しようと寝る前にパソコンに向かうことにする。
徒労の朝
昨日・おとといは私がこっそり恐れている週末だった。パートナーが出稼ぎで不在の現在、土日の丸二日間、子ども達と何をしてどう過ごせばよいのかと、毎週ちょっぴり途方に暮れてしまうこの頃。その土日を無事に乗り切り、今日は週初めの月曜日。ようやく自分の仕事に集中できる時間が持てる。
さて、仕切り直しといこうと、いつものように子ども達を朝5時半に起こし、7時過ぎに学校に送り届けた。
ところが学校に到着してみると、何やらいつもと雰囲気が違う。いつもは全開の校門が50センチしか開いていない。そして、空いているはずの教室が閉まっていて、いつもはガヤガヤしている構内にはまばらに人がいるだけでひっそりとしている。明らかにいつもの様子と違う。
何かがおかしい…。
しばらく待っていると、それぞれの子供たちの担任の先生がやってきた。
先生が言うところによると、先日施行されたGomaの新ルール「18時以降のバイクタクシーの運行禁止」(このところ、18時以降に物騒な事件が多発していたことによる)に反対して、今日デモが行われるため、学校はお休みになったということだった。
「WhatsAppの保護者グループに登録していないの?」と聞かれて、初めてそんなものがあることを知る。それで学校からのお知らせを伝達しているとのこと。
取り急ぎ、明日どうなるかということを知らせてもらうため先生と連絡先を交換して、すごすごと学校を後にした。
本当の感情
「そうか、今日はお休みか。」
予想外のスケジュール変更を受け入れたものの、しょんぼりしてしまう。帰り道、少し遠回りしてお気に入りのパン屋さんに寄って帰っても、私の気分はなかなか上がってこない。
そんなことなら「早く食べなさい!」と、朝から子供たちを急かさなくて良かった。そして、子供の足で30分掛かる登校の道中、それぞれ転んだ子供のスカートが汚れてしまったことでストレスを抱えなくて済んだのに(ここでは身なりを非常に大事にするので、子供の服が汚れていないかどうか、とても気を遣う)。
こんな日に限って、一番買いたかったパンも売り切れなんて「そんな日もあるさ」と呟いて、落ち込む気持ちに寄り添う。ああ、子ども達の側ではまた集中して仕事が出来ない…かといって、今日は取り掛からなければいけない差し迫った仕事がそれ程あるわけではなかった。
この気分が晴れない原因はそう、クラウドファンディングの気掛かりだ。クラファンがこんなにもストレスになるとは思わなかった。自分で何とかコントロールできるものなら、何をしてでもやり遂げたいと思う。ところが、クラファンではそうはいかない。
思いつく限りの人の連絡先に当たり、使える手段は全て生かして方々にメッセージをして回ったとしても、返ってくるリスポンスはごくわずか。そして、そのわずかの中から更に限られた人だけが、実際に支援をしてくれる。
私は自分が結果に固執していることに気が付いた。連絡を取った人に、いちいち落胆している自分にも嫌気がさした。
クラファンの結果なんて、どうでも良い!どんな結果になろうと、プロジェクトの進行に何ら変更はない。それはそうなのだが、クラファンの成果=自分の価値としているところが少なからずあったのだ。
それは違う、と思いながらも、その考えがなかなか否定できない。一見、クラファンは自分でコントロールできないように見えて、その結果は自分の情熱がどれだけ人に伝わったか、はたまた自分がどれほど応援されるような人間かと言うことが如実に数字となって示されるのではないか。
そんな考えが頭から離れず、クラファン開始わずか数日のうちに私の精神は消耗していた。
こんな時もあるさ。こんな時は無理に落ち込む気持ちに逆らおうとせず、ムクムクとまた自然に元気が戻ってくるまで待つに限る。
これといった成果をあげられないまま、夕方、ビールの蓋を開ける。
それから、目の前の空っぽの椅子に、心の中で大好きな人を一人ずつ座らせる。ある人はそんなことで凹むなんてと笑い転げて、ある人は素人が最初から上手くいくと思ってるなんて舐めていると言い、ある人は黙って背中を叩いてくれて…何人目かで涙が出てきた。
知らず知らずのうちに、私はプレッシャーを抱え込んでいたようだった。
不意に思い立って、こんな時こそ奮発して、貴重な日本食材を開封してみる。
高級昆布を手渡してくれたその人の思いやりを昆布と一緒に噛みしめているうちに、次第に心がじーんと温まってくることを感じる。
でも、後悔していない。でも、こんなに応援してくれている人がいる。でも、私はやりたいことを全力でやっている。
しばらくして、珍しいものを食べていることに気が付いた子供たちと昆布争奪戦を繰り広げながら、今日もビールは美味しいなと思う。
そして、明日はまた新しい1日だ。
明日はきっといい日になると自分に言い聞かせて、「そんな日」は過ぎて行った。
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