高級な棚 made in RDC

日常・子育て
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Gomaに着いて10日間ほど、パートナーの友人の家が空いていたのでそこに滞在させてもらっていた。Goma university・医学部の建物のちょうど裏側あたり、4階建ての4階。ニーラゴンゴ山とキヴ湖が綺麗に見えるフラットだった。

 

建物の高さがそれなりにあったので蚊もほとんど上がってこない。こんなに眺望の良いところを一度味わってしまうと、ここから移動しなければならないことが、残念で仕方がなかった。

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新しい我が家

12月15日、いよいよわが家へ引っ越し。12月9日にイレールが仕事で遠征に出てしまったので、その日は彼の友人のDr.Kとその友人・パパアリが車を出して、家の間を二往復して手伝ってくれた。①セキュリティ・治安面②1月から始まる娘たちのプレスクールが徒歩圏内であること③家賃の予算 などを考えると、借りる家の選択肢はそれほど多くなかった。今度はフラットではなく、大きな二階建てのお宅の2階部分を借りるスタイル。2階部分とはいえ、建物の入り口は独立しているから、気分は一軒家だ。「広いバルコニーが気に入って決めた」とイレールが言うように、なるほど、あれほど前のフラットが名残惜しかった私も新居をすっかり気に入ってしまった。

 

 

新しい家の準備にあたって、イレールの友人・Dr.Kが走り回ってくれた。空っぽの家に新しく住むとなると、アフリカとはいえ、ベーシックで充分とはいえ、やっぱり色々と物入りだった。とりあえず寝られるようにベッドに始まり、食器、椅子とテーブル、水をためておくバケツ多数(何せ、水道が機能しないので…この話はまた後日。)、鍋と調理道具、蚊帳、カーテンなどなど、毎日マーケットに出向きながら少しずつそろえていった。

中でも大変だったのは「収納」である。特に期待していたわけではなかったけれど、新しい我が家にはそれこそ棚の一つもなかった。友人宅に滞在していた数日間、スーツケースから物を出し入れするのに辟易していた私は「大至急、棚が要るの!」と、Dr.Kに相談した。Gomaの物価が思っていたよりも高かったことに衝撃を受けていた私は「一番安い方法で!」と念を押すのを忘れなかった。そこでDr.Kはシンプルな棚だったら中古の家具を買うよりも作ってもらったら安く済むかも…と提案してくれ、大工さん?に棚を3つ発注してくれた。

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高級な棚 made in RDC

ところが・・・運ばれてきたものを見て、私は本当に泣きたくなった。何やらグラグラして建付けは悪すぎる、木は割れて釘が飛び出しているところもある。何よりも木の表面はソゲソゲだらけで、とても服や物を置く気になれない。しかも、そのトータルのコストに対し、現物120ドル+運搬費10ドルも費やしていたのだ。更に悪いことは重なり、そんな使い物になるかわからないような棚の一つが、幅が大きすぎて予定の場所に収まらない。修復するのに更に10ドル必要だというのだ。

絶句しながら私は猛烈な後悔に襲われていた。作っているところまで現物を確認しに行かなかった私が悪かった。Dr.KからWhatsAppに送られてくる棚の写真を見て、「それでOK!パーフェクト!」と反応したのは私だ。それにしても、Dr.Kはこんなソゲソゲの棚に服や物を置く気になるのだろうか?日本から持参したメジャーまで渡してあの部屋の凹んだスペース収まるように棚を作ってねと伝えたのに、どうして出来上がったものの規格が大きすぎるのだろうか?

新しい家をアレンジするのにワクワクしていた私は、この家で好きなものだけに囲まれて生活すると決めていた。出だしからこんなにテンションの下がる粗大ごみを招き入れなければならなくなって、本当に言葉もない。使いたくないものにこれ以上お金を払うなんて馬鹿げていたが、雨も降るので外に置きっぱなしにもできない。渋々幅を小さくする手数料を払い、放心しながらバルコニーで大工さんの作業を見守る。大胆かつ鮮やかな作業。釘を外して棚の右端の板を取り払い、背面と各段の板をそれぞれ切断し、また右端の板を取り付けた。時間にして15分。Made in DRCのクオリティや、恐ろしや。

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大工さんが帰った後、とりあえず一旦棚のことを考えたくなかった私はDr.Kとビールを飲むことにした。あれこれ話しているうちに、やっぱり意識は棚に戻ってきて、酔いも手伝って私の本音が出てきた。「Dr.K…あなたの労力には本当に本当に感謝しているんだけど、本当のところ、あの3つの棚は私が本当に欲しかったものじゃなかった。色々注文はあるんだけどさ、大前提で表面があんな風じゃ、使えない。」あれじゃまるで廃材の張りぼてじゃないかと言いたいのは飲み込んで、言葉を選びながら、とつとつと心の内を述べていると、「ああ!ソゲソゲが気になるなら、やすればいいよ!」と事も無げに言う。

翌日、目の粗いサンドペーパー、ニスと刷毛を調達してきたDr.K。
「そんなものでこの棚が使い物になるものか。」棚に対する愛情を持てないまま、焼け石に水をかけるような気持ちで私は投げやりにガシガシと手を動かし始めた。

五分後。私は夢中になっていた。すごい!木の表面が見違えるように滑らかになっていく。もしかして、すべての木製の家具はやすられる前はこんな風なのだろうか。手を入れていくほど、あれほど私をがっかりさせていた物に対してどんどん愛着が湧いてくる。

夢中になっている私の元へ、Nanaが時々冷やかしに見に来る。「喉が渇いた」と言うと、「終わったらビールあげる」と憎らしく舌を出す。子どもたちの面倒を見てくれるよう頼み、作業にはまりにはまった私は寸分の休憩も挟まず、午前中から日が暮れるまで、たっぷり丸一日かけて3つの棚を磨き上げた。

後日、ニスを塗る日にはイレールが帰ってきていて、家族みんなで交代でニスを塗った。

自分の服を汚すのが嫌で、イレールの服を盾に作業する私(右)

かくして、我が家にやってきた棚はどんな棚よりも思い入れのある、私にとってはどんなに豪華な棚よりも価値のあるものへと変身し、それぞれの持ち場を守っている。一目見て泣きたくなった棚がこんなに愛おしくなるという結末など、とても想像しえなかった。

きっと、これからもコンゴでの生活はこんなことの繰り返しなのだろう。心底ガッカリしすることがあっても、これは素敵な体験の幕開けなのだと言い聞かせることができたら、いつでも前を向いてゾクゾク・ワクワクしていられることだろう。

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