実は、今回Gomaでスタートさせようとしている病院運営のプロジェクトは今に始まったことではない。数年前(2018年)から、イレールは彼の兄(Dr.Darock)と共にKamituga-Mwengaというところで病院の建設を始めていた。
なぜ、Kamitugaでプロジェクトをはじめたのか、そこにどんなモチベーションがあったのかという説明については、こちらの記事にまとめた。
Kamituga-Mwengaに象徴される、コンゴ(DRC)の現状
Gomaに活動のベースを置く意味
Kamitugaのプロジェクトは大規模な計画(ベッド数およそ150の産科・小児科専門病院)であった。イレールとその兄はかなりの私費を投じながら、NGOの同僚に助けられてクラウドファンディングにも挑戦しながら建設を進めていた。しかし、半ばでイレールが複数の緊急ミッションに召集されたり、DRCの選挙に集中しなければならない状況などがあって、計画が頓挫してしまっていた。コンゴに渡航する前、私はこのプロジェクトを立て直したい、それが私が取り組むことになる仕事になるのだろうと考えていた。(数年前から私が周囲の友人・知人に話していた病院建設の話は、このプロジェクトに当たる。)
今回、Gomaに住居を構え、生活・仕事の拠点を持つことを決めて改めて感じること。それは NGO活動を知ってもらいたい!と、情報を発信する私が、文字通り渦中にいることの重要性だ(あくまでも、私の中で)。日本にいるときだって、自分でやろうと思えばKamitugaのプロジェクトを紹介し、クラウドファンディングをスタートさせることが出来たかもしれない。しかし、まったく気乗りしなかった。それは、一度も足を運んだことのない現場の現状を語ったり、臨場感をもってコンテクストの説明もできないまま支援を募ることが、まるで何の自助努力もしないままに、ただ誰かに助けてもらおうとしているようで、他力本願な感じがして仕方がなかったからだ。
例え、はるばるコンゴ民主共和国に、Gomaにやって来ても、Kamitugaのプロジェクトを推し進めようとしたところで私の「現場にいない」という違和感は変わらなかったかもしれない。(Kamitugaは南キヴ州の州都・Bukavuから164km離れたところに位置していて、距離だけを見ると訪れるのはそう難しくないように思われるが、雨期ともなるとKamituga-Bukavuの間を走るトラックは時に数週間~数か月を要する。つまり、アクセスは絶望的に悪いということ。)
リモートワークでは架け橋にはなり切れないという不服が、ずっと抱えてきたもやもやの正体だったのだなということが分かったので、今後の計画をイレールと話し合った日の朝、その辺の体感を熱心に伝えた。そのプロジェクトに文字通り巻き込まれ、自分が主体的に決断・運営をしていきたい。そうでなければどうやって自分の言葉で思いを発信し、誰かを巻き込んでいく事ができるだろうか。
そして、いざ動き出してみると、Gomaという場所が含有するさまざまな条件が助けになり、まるでGomaが「ここが、その場所だ」と迎えてくれているかのように、複数の幸運が背中を押してくれるように条件が整っていった。(イレールのすさまじい行動力も、大きいのだと思うけれど。)
MABADILIKOの始動
今ここに、「MABADILIKO」というNPO組織が誕生しようとしている。プライベートクリニックを運営しながら、内紛によって住む処を追われた国内避難民(IDP=Internal displaced people)の妊産婦・子供へ無償医療支援を行うNPOだ。29日の金曜日、2023年内滑り込みセーフで首都・キンシャサの国の機関にNPOの申請は済ませることが出来た。予定通りいけば1月中にはオフィシャルにNPO組織・MABADILIKOが新生スタートする。MABADILIKOのはじめの第一歩のプロジェクトとして、医療援助からスタートするが、将来的には現地で生活に困窮する人の自立支援などにも取り組みたい。
MABADILIKOという言葉はスワヒリ語で「Change」の意。みんなで力を合わせて、微力ながらもDRCの現状を少しでも変えて行きたい。どうせ数人が立ち上がったところで、山積する問題に与えられるインパクトは知れているかもしれない。でも、だからといってそれが何も行動を起こさない理由にはならない。有名なキング牧師の「最大の罪は大多数が傍観することだ」という言葉を思い出すたび、それがどんなに小さなものでも、自分で行動を起こすことの意味を再確認する。
DRCの問題をDRC国民が何とかしようとしないで誰が変えられるだろう。まずは、自分たちが立ち上がらなければ。大多数が、このままではだめだと思いながら、政治の腐敗・不平等を嘆きながら、それでもやっぱり変わらないことを受け入れているから、現状が変わらないのではないだろうか。
しかし、そのDRCの「現状」に諸外国が加担していないとは決して言えない。ムクウェゲ医師が繰り返しスピーチで訴えたように、どんなに遠く離れていてもDRCの問題と私たちは無関係ではいられない。紛争鉱物とも呼ばれるコバルト・コルタン・タンタル等のレアメタルがどのように産出されているか、誰に対価が支払われているか、それらが私たちが毎日手にする美しいスマホに姿を変えてしまった後は幸か不幸か、知る術もない。
これから始動するMABADILIKOの活動を広く知ってもらいたいと思うし、応援される組織にしていきたい。そして同時に、現地での人道支援活動を外から応援されるばかりではなく、地球規模で抱えているSDGsに示されているような問題を、誰もが自分事として考えることができるような、色々な意味での架け橋にもなっていきたい。
そんなことを考えながら、現在MABADILIKOの公式HPの準備に取り組んでいる。思いを込めすぎて、掲載する文章一つ、写真1つ作成するのにも時間が掛かってしまう。それでも、これまで何一つやりたいことに向けて具体的に動けなかった自分のフラストレーションを思う存分発散させる場ができたことが嬉しくてたまらない。
コメント