12月22日の早朝、イレールがBukavuから帰ってきた。20日が選挙当日で、所用を済ませて25日に帰ってくる予定だと聞いていたのに、突然の帰還だった。開票の全貌はまだクリアではなかったが、「Bukavuにいても結果は変わらないから・・・」と、多くを語らない彼の様子から結果が思わしくなかったことが分かった。
日本からコンゴにやってきて久々の家族団らんも束の間、3日ほど走り回って住む家を決めたら、あとはよろしくと選挙の遠征に出てしまったイレール。選挙終盤・ラストスパートで彼が忙しさMAXの時期に乗り込んでしまうなんて、本当にタイミングが悪すぎた。(わざわざこの時期を選んだのには理由があったが、ここでは割愛する。)家政婦のNanaやイレールの友人Dr.Kが色々と世話を焼いてくれるとはいえ、着いてすぐに直面したパートナーの不在にはさすがの私も心細さや不便さを覚えていた。
が、前日に帰ってくると聞いたらこの二週間で自分が既に彼なしに快適に暮らせるようになっていることに気が付く。そして同時に、この二週間現地に滞在しながら、日本にいる時とまるで同じように、どう動き出せばよいのか全く見えてこない自分にがっかりした。
話し合い
帰ってくるなり早速、これからのことを話し合う議論が始まった。選挙に当選していたら、彼はキンシャサでの仕事がメインとなり、首都とGomaを3か月ごとに行き来する生活をするはずだったが、そのプランはもうなくなった。この4か月間、国を良くしたいと選挙に全精力を注いでいた彼が、キッパリと気持ちを切り替え、もう全く違う方向を向いていることが分かる。私は改めて、自分がこんなことをやりたい、でも足掛かりが見えないということを話し、彼は彼で自身がこれまで綿密に練ってきたプランやコンゴ人としてのアイディアをたくさん引っ張ってきた。
そこで数時間の熱い話し合いの末、ついに私たちは進むべき方向を見出し、決断を下した。それはプライベートクリニックを開きながら、地域のある特定のターゲットに向けた無償のアクティビティを同時並行で運営するということ。この運営方法は国民皆保険を当たり前のように享受する日本人の私には馴染みがなくて、彼の説明を咀嚼するのに少し時間が掛かったが、かみ砕くとこうだ。
①プライベートクリニックの運営とは、つまり、お金を払える人だけが受けることのできる医療を提供する場。(日本の感覚ではあり得ないけれど、実は日本の制度が世界的な感覚ではあり得ないこと、当たり前のように整えられた国民皆保険制度のいかに庶民にとって重要なものであるかが、外に出ると際立って感じられる)②Goma市内にはあちこちに紛争から逃れてきた国内避難民キャンプが存在するが、その避難民の中でも特に脆弱な立場にある、妊産婦や子供に焦点を当て、治療を必要とする人に対して無償で医療を提供する。
プライベートホスピタルと人道支援活動のこの二つを同時並行で運営するというのは実は珍しいことではない。例えば数年前にノーベル平和賞を受賞したムクウェゲ医師のパンジホスピタルは彼のプライベートクリニックであり、その運営をしながら、同時に性暴力で犠牲になった女性達を治療したり保護する活動をしてきた、というのが実際のところ。最初は細々とした取り組みだったものが、人々の協力と援助により、世界中に広く知られるところとなった。
国際的に力のあるNGOでもない限り、最初から人道支援活動だけに焦点を当てて運営していくというのは無理がある。無償の支援活動のみで、どうやって活動の資金を回しつづけられるだろう。そうだこれだ、決まった。私たちが進むべき道。やるしかない!私がずっと、やってみたくて、でもどのように最初の一歩を踏み出せばよいのか、ずっと見えなくて苦しかった、けれどようやくクリアになった最初の一歩。
イレールは一度決断してしまうと、行動が恐ろしく早い。これまで少しずつ買い足してきた自身の医療用マテリアルの数々をGomaに輸送する手段を整え始め、彼の兄の一人(医師)に連絡を取り、病院開設の初めの2~3か月を手伝ってくれるという約束を取り付け、更には人づてに現地のコミッショナーの連絡先を入手。午後からクリニック運営に適した建物の物件巡りをする手はずまで整えてしまった。背中を押されるように、私も書き溜めた日記を公開し始める。このプロジェクトにおける私の役割・夢は「コンゴと日本の架け橋になる」なのだから。
私の夢は広がる。この小さなクリニックを足掛かりに、日本から世界中からこのプロジェクトに色んな人を招きたい。途上国の現状を知りたい・研究している学生、SDGsに関心のある親子のスタディツアー、日本の学校で息苦しさを感じている学生の短期留学の場にもなれるかもしれない。フランス語を習得したいと思っている人、アフリカンダンスを習ってみたい人だって来てもらいたいし、途上国の医療に関心を持っている研修医の受け入れや、現役あるいは引退した医師がボランティアを志望してくれるかもしれない。
ここまで、本当に長かった。やりたいことがあるのに、どう動いたら良いのか身動きの取れない時ほど苦しいことはないと思う。やっと、目の前に取り組むべきことがハッキリと見えて、私は眠れない程興奮していた。
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