別に○○するわけじゃないけど・・・という前置きで始まる話題は必ず、その人が今から○○しますよ、という宣言である。自慢するわけじゃないけど…擁護するわけじゃないけど…。数ある宣言の中でも、別にのろける訳じゃないけど・・・というお断りをして、今日は柄にもなくのろけてみたいと思う。
出稼ぎ
イレールが先週からイエメンに行っている。病院開業が迫っているこの期に及んで、出稼ぎである。病院の改修工事には思ったよりもお金が掛かってしまった。プロジェクトスタートまでの1か月ちょっと、少しでも開業後のマテリアル購入の足しにしようということで旅立っていった。
ついこの間、コンゴで家族一緒の生活が始まったところだったから、すぐに帰ってくると分かっていても寂しい。MABADILIKOの仕事は他のメンバーが居てくれることもあって何とか回っているけれど、それでも目下立ち上げ中のプロジェクトがあり、リアルで相談したいことが次々出てくる状況で一人残されるのは心細くもある。
「亭主元気で留守が良い」とはひと昔前、何かのCMをきっかけにものすごく流行したコピー。夫=外に働きに出るもの、妻=家で家事をするものというステレオタイプのいかに廃れてきたかを感じる気持ちはさておき…ものすごく流行したということは裏を返せばものすごく共感を得たということだけれど、これが、私には本当に理解できない。何ナニ?みんな、照れ隠し?と思っていたけれど、本当に本気でそう思っている女性が、世の中には一定数存在するらしい。
ポジティブに捉えると、家に居る=仕事がないか体調が悪いかということで、留守なのは色々充実している証拠ということ。だが、コピーの意味するところは恐らく、逆だ。きっと、妻が常に夫の世話を焼かなければならなかったり、夫が家庭内でとても威張っていたり、少なくとも奥ゆかしい妻が夫に多少気を遣って生活しているという背景があってのことなのではないかと推察する。
では、我が家はどうだろう。私は家事(夫の世話焼き)もできない、奥ゆかしさもない、イレールに威張る隙間さえ与えない。そしてと言うか、だからと言うべきか、寂しがり屋な性分も手伝って「亭主元気で留守は嫌!」なのだ。
フツツカ過ぎる妻
コンゴにやってきてショックを受けたのが、自分の役立たなさだ。恥を忍んで告白するが、数年ぶりにやってみたワイシャツのアイロンがけは下手過ぎて「自分でやるからいいよ!」と言われた。食材と調理スタイルが違い過ぎる(ガスがないので毎日炭で料理している)せいで料理は殆ど家政婦・NANAのアシスタント止まり。洗濯など手洗いに慣れているはずもなく、洗っても汚れが落ちていないから、これもNANAが任せなさい、と。アフリカスタイルの床掃除(床を水浸しにしながら雑巾を器用にモップにして操る)はやってみたものの、自分の履物の泥跡がついて上手くいかない。
本当に5年間、日本で仕事と育児と家事をやっていたなんて誰も信じてくれないに違いない、こちらではまるでフツツカすぎる嫁だった。洗濯機・掃除機・水道がないだけで、生活様式の違う環境に置かれるだけで、自分がこんなに不器用に何も出来なくなるとは思わなかった。
そんな具合なので、‘亭主’が留守であろうが在宅であろうが私は限られたことしかできないし、家の外で気を遣うことはあっても、家の中では心底リラックスしている。もしかすると反対に、今までイレールに「奥さん元気で留守がいい」なんて思われていたかもしれない。
ところで、では私は家の中でどんな用事を引き受けているのかというと、食器洗いや、洗濯物を畳んで直すとか、子供の食べた後や遊び散らかした後を片付けるとか・・・と、書きながら小学生のお手伝いそのものではないかと笑ってしまうが、どういう訳かそれなりに忙しい。そんなので少しは家事を分担していると言っては怒られるかもしれないけれど、それでも、もっと仕事のために時間が欲しいと思うほどには時間を割いている。
のろけるつもりだったのに、何だか話が違う方向に行ってしまって、恥をさらして記事が終わってしまった。
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