2回の乗り継ぎを経て、トータル30時間を超える長い長いフライトの旅の末。現地時間2023年12月6日の正午過ぎ、私と二人の娘はDRC・コンゴ民主共和国のGoma空港に到着した。
飛行機を出てタラップを降りようとすると、外は土砂降り。いっぱいの荷物で両手がふさがっている私が、疲れ切ってなかなか歩こうとしない次女に手を焼いていると、「Je vous aider.」(手を貸しましょう)という声と共にどこからともなく2本の腕が伸びてきた。まるで綿のようにふわりと担がれた次女の後を追いながら、空港ターミナルの建物へと歩く。それが快とも不快とも、何とも表現しがたいこの土地のにおいを感じながら、「ああ、ついに来てしまった」と、私の足取りはまるで興奮の気持ちが抑えられない。
出迎えてくれた、懐かしいパートナーの顔。しばらく滞在する家へと向かう道中、車窓から見える景色を眺めていると、「自分が居るべき場所に来た」という感覚が込み上げてくる。人々のキラキラした目、カオスな市場、飛び交う怒号とクラクション、人・バイク・動物の波…混沌とした途上国のエネルギーはどうしていつも私をこうも惹きつけるのだろう。自分には想像し得ない秩序・人々の生活がそこにはあって、それを理解してみたい、体感してみたい、そんな強烈な衝動があるからだと思う。
隣では子供たちが、頭に荷物を乗せて歩く人を見ては感心し、1つのバイクに3~4人が跨る光景や、あるトラックの荷物のとんでもない積載量を見ては歓喜の声を上げている。「どう?エキサイティングでしょう?」これまでの彼女たちの日常の「当たり前」を壊しはじめていることを感じ取り、私はほくそ笑んだ。
「子供たちを父親の国・コンゴで育てたい」「日本とコンゴの架け橋になりたい」長女を出産してからずっとその思いを心に抱き続けてきた数年間。私はようやくスタートラインに立つことができた。これからどんなことが出来るだろう。残りの人生で、何がしたいだろう。
私の渡航計画について、ある人は無謀だと言い、ある人は何でわざわざそんな所へと眉をひそめた。それでも、分かってもらえなくても、これだけは伝えたい。これまで経験したどんなに散々な目に遭った旅でも、私は旅に出なければ良かったと思ったことは一度もない。そして、やって後悔したことはなくても、やらなくて後悔したことは山ほどある。
今回の出発に際して、友人・恩人からいただいた、暖かいはなむけとエールを胸に、これから私のありのままの日々と思いを文章に綴っていきたい。
筆者略歴
1984年大阪生まれ
看護学部を卒業し、一般病院の手術室で勤務の後、約5年間某国際医療NGOの一員として中東・アフリカの紛争地で活動。仕事を通じてコンゴ人パートナーと出会い、長女出産を機に単身日本へ帰国。しばらく日本で仕事と育児の生活をしていたが、長女5歳・次女3歳になった2023年にコンゴ民主共和国・Goma市に移住。
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