子供の適応力というのは話には聞いていたけれど、目の当たりにすると本当に鳥肌ものだ。正直に書くと、コンゴに到着してから、特にMABADILIKOのプロジェクトがスタートしてからは忙しくて、子ども達を新しい環境に放り込んだが最後、ほとんど構えていなかった。
かといって母親である私が、ずっと側について手取り足取り順応の手助けをするべきなのかといえばそれも違う。しかし、「子供と新しい環境との間に自分が割って入らないように留意しながら見守ってやる」などという状況からは程遠く、選択の余地なく始まった獅子の子落としに多少の申し訳なさは感じていた。
他者と直接かかわろうとする力
この数週間での子供たちの変化は周囲の誰が見ても明らかだった。毎日一緒にいる私達でさえ手に取るように感じていたが、家にお客さんが来ると、誰もがその成長を口にする。
言葉も習慣も全く異なる環境で、何を話しかけられても固まったまま、どう反応すればいいか分からなかった二人。言いたいことや伝えたいこと、疑問や欲求は100%私を通して外の世界の届けられたし、外の世界からの情報は全て、私を介してしか知ることはできないと思っている様子だった。特に、長女・あ太郎はとんでもない恥ずかしがり屋なので、自分から関わろうとするようになるまで時間が掛かるだろうと思われた。
しかし、私の心配とは裏腹に、最初の変化を目にするのに1週間とかからなかった。最初に「おっ」と思ったのは次女・もー次郎。鼻水が出ると走ってきてそれを指差し、最寄りの大人に当然のように拭いてもらっているではないか。それから、「Ça va?」や「Bonjour」と声を掛けられると、最初はきょとんと固まっているだけだったのが、二人とも意味は分からないままでもオウム返しにリピートするようになった。
彼女たちにとって一番身近なコンゴ人は家政婦・NANAだが、「Viens, laver」(来い、洗う。)とか「Viens, manger」(来い、食べる。)と有無を言わさない迫力で言われると、言葉も分からないのに最初から何やらしおらしく従う光景を見るのは面白かった。「今遊んでるから!」とか「後で!」とか、私が声をかけると絶対何か文句や抵抗が出るというのに。
それから近所の人を見かけたら自分から手を振って「Ça va?」と声をかけるようになり、「Bon appétit」と言ってもらったり褒めてもらったりしたら「Merci」って言うんだよと教えてやると、私が何も言わなくても「Merci」と返事するようになった。
この変化は何だろう。アフリカンマジックか?日本では「ありがとう」を言わなければならないと分かっていても恥ずかしくなって私の後ろに隠れてしまったり、特に長女が自分から、それも知らない人に手を振るなんていう光景は見たことがなかった。
カリブ・サナ!
ある日、いつもご用達のパン屋さんから歩いて帰る途中、ソーセージとチーズを売っているプレハブ店舗の前を通りかかった。その店先には自動で宣伝の音声を流し続ける機械が設置されていたが、素人がテープ録音したと思われるその声の調子が独特で、何やら子供たちがツボにはまって笑い始めた。そして、その声の調子を再現しながらモノマネ大会が始まった。
宣伝の内容は「いらっしゃい。ソーセージが2㎏でいくら・・・」というものなのだが、お客さんを呼ぼうとする活気があるというよりは男性の落ち着いただみ声がエンドレスに繰り返される。1フレーズがそんなに長くなく、その中でもスワヒリ語の「カリブ サナ」と「アローアロー」(hello helloが訛ったもの?)がシンプルで耳につく。ケラケラと笑いながら、家に着くまで二人の「カリブサナ」「アローアロー」が止むことはなかった。
「カリブ」は日常的によく耳にする言葉で、お店や誰かのお宅に行ったら必ず言われる言葉だ。後になって「カリブサナはようこそっていう意味なんだよ」と教えてやると、以来、家にたどり着くと、例の録音テープの声色を真似て皆で「カリブサナ」と言い合うのが習慣になった。
ここ、Gomaでは誰もがフランス語、リンガラ語、スワヒリ語を話すが、子供達もこうやって日常の中で自然に吸収していくのだろうか。1~2年もすれば、通訳をしてもらうのは私の方かもしれないとつぶやいたら、周囲から「通訳どころか、お前のその酷いフランス語を毎日直すようになるよ!」と周囲から突っ込まれた。もうすぐ始まる、1月から始まるプレスクールの中でもどんどん自分から人と関わる楽しさを体感してほしいと願う、獅子の母である。
コメント